まだ窯の温度計は700度以上ありますが、早く窯出しをしたいので窯の蓋を少し開けました。
バブルの頃は、1,200度ほどで窯が焼き上がると、すぐに、これ位蓋を開けていました。
そして窯出しの時は綿の軍手を二重にはめて、軍手を焦がしながら作業していました。
毎日これを続けていたときは指の指紋が消えてしまっていました。
久しぶりにそんな頃を思い出しています。
京都・宇治・炭山 京焼の陶房 「暁陶房」(あかつきとうぼう)
まだ窯の温度計は700度以上ありますが、早く窯出しをしたいので窯の蓋を少し開けました。
バブルの頃は、1,200度ほどで窯が焼き上がると、すぐに、これ位蓋を開けていました。
そして窯出しの時は綿の軍手を二重にはめて、軍手を焦がしながら作業していました。
毎日これを続けていたときは指の指紋が消えてしまっていました。
久しぶりにそんな頃を思い出しています。